p氏の異常な愛情 または……

映画とか趣味とか色々。

コロナで見えたものとか、変わったものとか

 さてもさてもの4回目です。素晴らしい!1週間の半分を継続更新しましたね。物事は1週間続けられればある程度習慣化されるだろう、というのが私の持論なのですが、皆様はいかがでしょう。1ヶ月?半年?もしかすると1年?期間が長ければ長い程、貴方は強い人だと思います。まだ習慣化していないからもっと続けよう、という意識を保ち続けるのは並大抵の事ではありませんから。だから、気張りすぎない様のらりくらりと頑張ってください。密やかに応援しています。

 


 前置きはここらに今日のテーマを。

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 最近流行っている事。

 

 書こうと思って初めて、我ながら少々浅ましいテーマではあるなと思い、苦笑を隠せません。PV数を稼ごうという魂胆がやや透けて見えている。ですが、壁打ちブログをやった所でなんら面白くないというこちらの気持ちを読者諸兄姉には汲んで頂き、一つご容赦を。時事ネタや風潮について少しお話しさせてください。


 2020年代に流行り物の書き事をするにあたって、新型コロナウイルスを避けて通るのは至難の業でしょう。もっとも、私は専門家ではないので、ここで対策はこうしろだとか、政府の対応はどうだとか、そういう事を論じられる程偉くはないのですが。申し訳程度に、信用の置ける厚労省のリンクを貼っておきます。

 


厚労省の新型コロナ関連情報。ネットの玉石混交の物よりは良いかなと。

 ではなく、新型コロナ前後で何が浮き彫りになったか、何が変わったか。そういう話をしましょう。

 突然ながら、私の脳内はお花畑です。いきなり何を言い出すのか、そう思われるのも山々でしょうが、そこはどうか堪えて。話を戻しましょう。私は全ての人が話し合いや団結によってある程度の争いを収められると信じてやみません。ですから、新型コロナウイルスの蔓延を見た時、僅かながら興奮してしまった事も事実なのです。映画なんかでよくあるじゃないですか、人類が一丸となって立ち向かう展開。インデペンデンス・デイコードギアスで麗しく語られる、「圧倒的に強大な敵」という存在に対して誰しもが結束し、人類の勝利としての平和を掴み取るシナリオ。そんな使い古された物語を、私はこの情勢に期待しました。

 けれども、現実はそう上手くいかない訳で。事実は小説よりも奇なり、とはよく言った物でしょうか。この疫病が私に教えてくれたのは、未曾有の災害に対して、人はあまりにも脆かったという事実でした。政府は嘘をついている。学者達は我々をモルモットと思っているに違いない。特定の人種は病原菌を持ち込むから出国するな。見渡せば、四方八方には不安に起因した煩雑な情報が溢れ回ります。そしてそもそも、責任はどこだ。誰が取るのだ。誰しもが負の感情を向ける矛先を探し回っている時だってありました。

 私は人間が弱い生き物だとは知っています。何しろ、私自身が強い人間ではないのですから。だからこそ、人間はこういう時だけでもそれなりに他人を信用、許容して生きてやっても良いのではないか、なんて事を時たま考える訳です。仲間がいるというのもそうそう悪い事ではないでしょう、絵空事の美麗辞句ではありますが。

 もう一つこの災禍で浮き彫りになった事がありました。これは人間の脆さと相通ずるところがあるのでしょうが、基本的に私達は自分にとって都合の良いものしか見たがらない、という事実です。

 私は世間一般が「陰謀論」と称する一部の言説に対してある程度は肯定的な立場です。それを心の拠り所とする人がいるのならば、いかに「正しい」とされる見地からその説が外れていようと、信じている人々を蔑ろにはしたくないので。彼らが先に述べた考え方を地で行っている事は事実でしょう。自分にとって「正しい」とされる真実しか頑なに見ようとしないのですから。

 けれども、それは彼らだけなのでしょうか。私達も彼らと同じく、自分にとって「正しい」とされる言説を信じている訳で。勿論、それはエビデンスや発信元に対しての信頼から成り立つ正しさではあるのですが、思考の流れとしてはある種変わらないのでしょう。

 だから、たまに思うのです。もし仮に、私達が「正しい」と思っている人々から、自分達にとって都合の悪い情報が流れてきた時、私達はどういった行動を取るのでしょうか。それでも「正しい」とされる情報に向き合えるのでしょうか。時々不安になります。

 不穏な話はここまで。


 新型コロナ関連の話をして明るい話題になる事はあまりないのですが、たまにはそういう時があってもいいでしょう。次のお話へ。


 しかしまあ、このウイルスは私達の生活を丸切り変えてしまったなあ、としみじみ思います。どこに行ってもマスク、マスク、マスク。たまにマスクをつけていない人もいますが。そういう人にとやかく言うつもりはありませんが、マスクを付けていれば波風立てずに済むんじゃないかな、と考えることもあります。もっとも、突然紐が切れたとか、すごい転び方をして使い物にならなくなってしまったとか、色々あったのかもしれないので、一概にマスクを付けない人と一括りにするのも間違いなのかもしれませんが。

 マスクを付けない人で思い出しましたが、最近環状線の駅でしばしば反ワクチン派の方々がマスクを付けずに抗議活動をしている様子を見る事があります。先程の陰謀論と被るところはあるのかもしれませんが、彼らも彼らなりの信念があるのかな、なんて事を横目に見ながら考えます。私達大多数の人々にとっての真実と彼らの主張は違える所にあるので、多数派になられる事はご勘弁被りたい所存です。けれど、信念を持って活動している人の姿は悪くないな、とも思ってしまうのはまだまだ若いでしょうか。

 ネタを変えましょう。最後に自粛のお話も少々。

 自粛、皆様はされていますか。自慢でもなんでもありませんが、私は結構敬虔にやっていました。学校様のおかげでワクチンを刺して貰ったりで気が大きくなってしまったのか、最近は緩みつつあるなあ、とは思うのですが。けれども、よくよく考えれば、コロナ最盛期の私の小心者っぷりは我ながら病的であったと思い返す次第です。本気でスマホを消毒してみたりだとか、ドアノブを毎回拭いたりとか、出先では常時手袋を付けてみたりとか。幸い、他人に対しての攻撃性が著しく低かったお陰で自粛警察みたいなものにならずには済んだのですが、未知の脅威は人を狂わせる事もあるなと懐かしんでいます。

 正しいかどうかは別として、こういう人間に付け込んで私腹を肥やす人は本当に頭がいいなと思う事もあったりなかったり。そういう人って、その状況下で人がどういう事を不安がるかという事を的確に理解して突いてくる訳じゃないですか。誰よりも冷静に状況を見据えて人の事を考えないと出来ない事なんじゃないか、と思います。それをもう少し社会に貢献する方法で使って貰えれば、案外いいカウンセラーなんかになったり出来るんじゃないでしょうか。夢を見過ぎかもしれません。

 随分と冗長になってしまったので、今日はこれまで。後書きを書いてお別れしましょう。


 やけにセンチメンタルな記事になった事をお詫びしたい所存です。書いているうちにどんどんバッドに入っていくのを感じました。閲覧数稼ぎ半分で書く記事でこちらがやられていく、というのはちょっとした笑い話でしょう。明日は楽しい記事を書きたいものです。

 まだまだこの非日常は続くのでしょうが、いつの日か、そんな時期もあったね、と普通の気持ちでお話できる日を心待ちにしています。

 

 それでは皆様、お体にはくれぐれも気をつけて、良き日々を。